深夜なのでちょっぴり愚痴る
最近、病気になってからのこの生活が定着してきてしみじみと「あー、やっぱり自分、普通じゃないなぁ」と思っている。
自分は、見た目も喋ってる感じも全く病人には見えないと思う。(まぁ、病気になってからかなり痩せたし、喋ってても上手く喋れなくて意味不明なこと言ってたりもするから分かってる人は分かるかもしれんが)
ただ、だからと言って「やればできるんでしょ?」と思われると、それは違うから!ってなる。
今でこそ極力身体に負担をかけない生活に慣れてきたけど、本当に普通の人ではなんてことない事で体調が悪化したりする。
(この「普通の人」って表現好きじゃないんだけど他に分かりやすい言葉がないから使ってる)
例えば、買い物、掃除、片付け、ゴミ出し、料理、シャワー…などなど。食べ過ぎでも悪化する(笑)
元気だった時は何も考えずにやってた事なのに。
自分は、「動かなければならない時以外は動かない」
これは別に怠けたいからとかサボりたいからでもなく、ただ身体がツラい状態になりたくないから。
前は、よく無理して動いて簡単に体調が悪化していたりした。
そして、無理した挙げ句、初めて「こんなにツライならいっそ死んだ方が楽かもしれん」という思考になった。
今まで生きていて初めてだった。
親が離婚して家庭崩壊した時も、仕事でストレス溜まって痩せた時も、一度も死にたいなんて思わなかった。
今の自分の場合は、体調が悪化しても時間が経てば少しずつ楽にはなってくるのだが、その時間が待てない程ツラかった。
つまり、「あの状態に二度となりたくない」
だから無理しない。
自分が今、動かなければならない時は通院くらいだけど、その通院すら行けてないことが多い。
それで、どんなに気をつけていても日常生活で動いてしまって体調が悪くなってしまうことが分かる。
まぁ当たり前だ。自分は一人暮らし。どうしても自分が動くしかないことが出てくる。食事の用意とか最低限の片付け、掃除洗濯とか。
本当は、できるなら掃除や洗濯、ゴミ出しとかはヘルパーさんにお願いしたいところだ。
(自分は障害者手帳が取れてないので不可能)
そして、今最大の難関である通院も、出来れば全て車椅子で介助してもらいたいくらいである。
(車椅子でも自走する体力と腕力がない(笑))
これが可能ならば、生活も通院もかなり楽になる。
というか本当の問題は、「何か動いた後」なのである。
特に移動中、車椅子が使えればかなり楽になると思う。
でも、もし、ヘルパーさんを頼めば「この人動けるよね?ヘルパーいらなくない?」と思われるかもしれない。
(室内は、体調が最悪でなければそれなりに移動できます)
通院に車椅子で介助してもらっていたら「この人歩けるのになんで車椅子?大袈裟じゃない?」と思われるかもしれない。
(自分は一応、歩けますがツラいです。あまり長距離だと倒れる可能性あり。歩いたら歩いただけ後の体調が悪くなる)
要は、何をするにも無理しないといけない。そしてその後はツラいことになる。寝込む。
これが全く他人に理解されない!!
そりゃそうだ、体調悪い時は誰とも会えないし喋ることもできない。誰も見たことが無い。
はっきり言って、自分はヘルパーも車椅子も、使えるなら周りからどう思われようが使う!
何故ならば、もう死にたいと思うほどのツラさを味わいたくないから!
誤解されたくないから言っておくけど、例えば同じ慢性疲労症候群という病気なのに手帳が取れてヘルパーが使える人とか車椅子が使える人を見ても何とも思いません。良かったね、と思う。ここで「なんであの人は使えるのに自分は使えないのキーー!!」って思うの体力の無駄じゃない?(笑)
同じく、自分はもう仕事なんて出来ないけど、仕事めんどくせぇ~とか、仕事めっちゃ忙しくて〜wとかの仕事に関することも同様。「仕事あるし出来るの羨ましい…嬉しそうに文句言いやがって…」とはならない(笑)何故なら自分も発症する前は普通の社会人だったので、仕事に関する愚痴や悩み、やりがい?なんかも理解できるから。
長々と書いてきたけど、自分みたいな人達がもう少し楽に生きられるようにならんすかね?
社会貢献出来なくなったら、生産性なくなったらもう用無しってか?
ふざけんな。誰だって自分と同じ状態になる可能性はあるんだぞ。
その時に他人事でいられるか?